shimojik
しもじま
サマリー
- 人間がAIと一緒に思考することは簡単ではないが、推論はAIが得意としている。
- コードを書いている際に、あるクラスのメソッドに関して推論しながら開発を進めた。
- 元々のアシスタントに関連する部分をファイル版で操作する新しい機能を開発しようとした。
- ドキュメントを見ずに推測してコーディングを行い、一発で動作させることができた。
- コンソールで動作確認後、実際のコードに書き込もうとした瞬間にIDEが自動補完をしてくれた。
- 自動補完の瞬間に、自分が考えていた推論がすでにAIによって行われていたことに気づいた。
- 人間がAIの助けを借りずに自分で考えることの価値と、AIに頼りすぎないバランスが重要だと感じた。
- AIに頼ることの便利さと、それによって人間の推論や思考がおろそかになる可能性のジレンマを感じた。
記事
AIとの共同作業の難しさ
また過ちを犯してしまうという、これはやっぱりまだまだ慣れない人間がAIと一緒に思考するっていうのはまあ一筋縄ではいかないなと思うんですけど。今日もですね、まあ推論っていうのがやっぱ基本的に生成AIが今得意だということがまあ一番なわけですよ。それに追従する形で他のものもどんどん来てるみたいな、でもその中でもやっぱり推論っていうのはとにかくやらせていけばいいということは常々意識してたつもりなんですけど、まあ今日もいっぱいやったんですが、例えばですね、コードを書いててあるクラスのクラスメソッド、クラスのメソッドの、まあそこからソートしたりとかしたクラスメソッドがあって、そこにパラメータがあるみたいなこういう構造を持ったクラスがあったわけで、構造というかメソッドを持ったクラスがあったわけですよ。このクラスをずっと触って開発をしてて、その全体が終わったので、これがアシスタントについての部分だったので、じゃあこれのファイル版を操作する同じようなものを作ろうと思って、元々の今までやってたアシスタントのことを考えつつ、ファイルでやったらこういう感じかなと。
でもこの時にそのアシスタントとファイルとの整合性が取れてるかということは、その元のクラスのドキュメントをまだ見ずにやってたので、適当にやったわけですよ。だからドキュメントを見てからもちろん書くのが一番正しいのはそうなんですけど、まあまあ同じ構造をしてるだろうと思って、ファイルについて同じように、同じような方向性でこうかなこうかなみたいな名前を推測しながらやっていくと、だから本当にステップバイステップの推論なわけですよ。この推論ってほどでもないですけど、ということをやって、全部書き終わってEnterってやったら、一発で通ったんですよ。あ、思った通りの挙動して良かったと思って。だから何のこともない、ただ推測して書いただけですよ、それはもちろんなんですけど、それを書いて、あ、動いたと思って。動いたのをコンソールでやってたので、それを行動、実際の行動の方に還元しようと思って、書くべきところに行って、その関数の中の今から書こうと思ったところにカーソルを合わせた瞬間、合わせてファイルって打った瞬間に後ろの分全部バンって一発で保管されるっていう。この30秒何だったんだって。30秒ぐらいで考えたことではあるんですけど、とはいえ30秒こうで、次こうで、こうで、こうかな。あ、行けた。この気持ち分かりますかね、この。自分でこう考えて、こうやって。こんな感じかな、推測した。やっぱ同じ構造、構造ちゃんと分かってたなと思って、ファイルって打った瞬間に全部同じものが一瞬で出てくる。この、なんていうんですか、虚しくはないんですよ。何だろうな。やるところ間違ったなっていうか、力の入れ方間違ってるなみたいなところですかね。
だからこういうのこそ、出ることは分かってるわけじゃないですか。でもなんかこう8割9割ぐらい出るけど1割2割ぐらい出ないみたいな感覚がどっかにあって、その1割2割を自分で補うぞっていう気持ちが常にあるんですけど、その1割2割の感覚っていうのはある意味正しいと思うんですよ。なんですけどやっぱりこれ調子乗って、人間もやれるぜってことで、3割4割にこれが増えちゃうわけですね、時に。それで3割4割に増えて、自分が手を動かすタイミングがなんとなく増えて、そうするとやっぱり気持ちもこう自分でやってる感が出るわけですよ。それが嬉しいかどうかっていうよりは自分でやってる、自分で進めてるみたいなそういう感覚が生まれるっていうか増えるっていうか。最近その先生にやってもらってるやつを確認しながらみたいなのが増えてくると、自分でそうやってやると自分でやってるぜっていう感じがどっかに乗るんだと思うんですよ。調子に乗ったところでバーンって出されて、あっちょっと調子乗りましたみたいなことがありましたね。
構造を描いているとだいぶその形に慣れてきてるんじゃないかって思ったりするんですけど、やっぱりこういうのを一日に何回もやるとまだまだ自分の頭でスタートを肌から考えようとしてるみたいなことがあるなと思いますね。自分で考えるっていうことが大事とかっていうのはもちろんあるんだと思うんですけど、ただ考えなくなるっていうのがそもそも難しいと思うので、考えなくなるのかな。ただ考えなくなることは難しいんじゃないかという前提で今のところ立っているので、どんどん投げつつ投げても考えちゃうみたいなところを平行で走らせていくと、一番いい形なんじゃないかなっていうバランスを取ろうとしてるんですが、難しいですね。
shimojik
しもじま
サマリー
- 人間がAIと一緒に思考することは慣れが必要であり、一筋縄ではいかないと感じている
- 推論は生成AIが得意としているが、それに追従する形で他の機能も進化している
- コードを書く際、あるクラスのメソッド構造を理解し、それを基に新しい機能を開発しようとした
- ドキュメントを見ずに構造を推測しながらコードを書き、期待通りに動作したことに安堵した
- しかし、最終的にはAIの自動補完機能によって、自分の考えた構造がすでに存在していることに気づいた
- 自分で考え推測することに意義を感じつつも、AIの能力によってその必要性が低下していることに複雑な感情を持っている
- 人間としての推論や考える力を大切にしつつ、AIのサポートを適切に活用するバランスを見つけることが難しいと感じている
記事
また過ちを犯してしまうという、これはやっぱりまだまだ慣れない人間がAIと一緒に思考するっていうのはまあ一筋縄ではいかないなと思うんですけど、今日もですね、まあ推論っていうのがやっぱ基本的に生成AIが今得意だということがまあ一番なわけですよ。それに追従する形で他のものもどんどん来てるみたいな、でもその中でもやっぱり推論っていうのはとにかくやらせていけばいいということは常々意識してたつもりなんですけど、まあ今日もいっぱいやったんですが、例えばですね、コードを書いててあるクラスのクラスメソッド、クラスのメソッドの、まあそこからソートしたりとかしたクラスメソッドがあって、そこにパラメータがあるみたいなこういう構造を持ったクラスがあったわけで、構造というかメソッドを持ったクラスがあったわけですよ。このクラスをずっと触って開発をしてて、その全体が終わったので、これがアシスタントについての部分だったので、じゃあこれのファイル版を操作する同じようなものを作ろうと思って、元々の今までやってたアシスタントのことを考えつつ、ファイルでやったらこういう感じかなと思って。でもこの時にそのアシスタントとファイルとの整合性が取れてるかということは、その元のクラスのドキュメントをまだ見ずにやってたので、適当にやったわけですよ。だからドキュメントを見てからもちろん書くのが一番正しいのはそうなんですけど、まあまあ同じ構造をしてるだろうと思って、ファイルについて同じように、同じような方向性でこうかなこうかなみたいな名前を推測しながらやっていくと、だから本当にステップバイステップの推論なわけですよ。この推論ってほどでもないですけど、ということをやって、全部書き終わってEnterってやったら、一発で通ったんですよ。あ、思った通りの挙動して良かったと思って。だから何のこともない、ただ推測して書いただけですよ、それはもちろんなんですけど、それを書いて、あ、動いたと思って。動いたのをコンソールでやってたので、それを行動、実際の行動の方に還元しようと思って、書くべきところに行って、その関数の中の今から書こうと思ったところにカーソルを合わせた瞬間、合わせてファイルって打った瞬間に後ろの分全部バンって一発で保管されるっていう。この30秒何だったんだって。30秒ぐらいで考えたことではあるんですけど、とはいえ30秒こうで、次こうで、こうで、こうかな。あ、行けた。この気持ち分かりますかね、この。自分でこう考えて、こうやって。こんな感じかな、推測した。やっぱ同じ構造、構造ちゃんと分かってたなと思って、ファイルって打った瞬間に全部同じものが一瞬で出てくる。この、なんていうんですか、虚しくはないんですよ。何だろうな。やるところ間違ったなっていうか、力の入れ方間違ってるなみたいなところですかね。だからこういうのこそ、出ることは分かってるわけじゃないですか。でもなんかこう8割9割ぐらい出るけど1割2割ぐらい出ないみたいな感覚がどっかにあって、その1割2割を自分で補うぞっていう気持ちが常にあるんですけど、その1割2割の感覚っていうのはある意味正しいと思うんですよ。なんですけどやっぱりこれ調子乗って、人間もやれるぜってことで、3割4割にこれが増えちゃうわけですね、時に。それで3割4割に増えて、自分が手を動かすタイミングがなんとなく増えて、そうするとやっぱり気持ちもこう自分でやってる感が出るわけですよ。それが嬉しいかどうかっていうよりは自分でやってる、自分で進めてるみたいなそういう感覚が生まれるっていうか増えるっていうか。最近その先生にやってもらってるやつを確認しながらみたいなのが増えてくると、自分でそうやってやると自分でやってるぜっていう感じがどっかに乗るんだと思うんですよ。調子に乗ったところでバーンって出されて、あっちょっと調子乗りましたみたいなことがありましたね。構造を描いているとだいぶその形に慣れてきてるんじゃないかって思ったりするんですけど、やっぱりこういうのを一日に何回もやるとまだまだ自分の頭でスタートを肌から考えようとしてるみたいなことがあるなと思いますね。自分で考えるっていうことが大事とかっていうのはもちろんあるんだと思うんですけど、ただ考えなくなるっていうのがそもそも難しいと思うので、考えなくなるのかな。ただ考えなくなることは難しいんじゃないかという前提で今のところ立っているので、どんどん投げつつ投げても考えちゃうみたいなところを平行で走らせていくと、一番いい形なんじゃないかなっていうバランスを取ろうとしてるんですが、難しいですね。
shimojik
しもじま
サマリー
- 人間がAIと一緒に思考することは慣れないと一筋縄ではいかない
- 生成AIが得意とする推論を意識しながらコーディング作業を行っている
- クラスメソッドを持つクラスの開発を経験し、その後ファイル操作の類似機能を開発
- ドキュメントを見ずに推測でコーディングを進め、一発で動作したことに安堵
- コードの自動補完機能により、考えていたことが一瞬で実現される経験をした
- 人間の推論がAIの能力によって補完されるが、完全には頼り切れないと感じる
- 自分で手を動かすことの満足感と、AIに頼ることのバランスを考えている
- 日々の開発作業で、自分の思考やAIのアシストの使い方に慣れてきているものの、難易度を感じている
記事
また過ちを犯してしまうという、これはやっぱりまだまだ慣れない人間がAIと一緒に思考するっていうのは一筋縄ではいかないなと思うんですけど、今日もですね、推論っていうのは基本的に生成AIが今得意だということが一番なわけですよ。それに追従する形で他のものもどんどん起きてるみたいな。でもその中でもやっぱり推論っていうのはとにかくやらせていけばいいということは常々意識してたつもりなんですけど、今日もいっぱいやったんですが、例えばですね、コードを書いてて、あるクラスのクラスメソッド、クラスのメソッドの、そこからソートしたりとかするクラスメソッドがあって、そこにパラメーターがあるみたいな、こういう構造を持ったクラスがあったわけで、メソッドを持ったクラスがあったわけですよ。
このクラスをずっと触って開発をしてて、その全体が終わったので、これがアシスタントについての部分だったので、じゃあこれのファイル版を操作する、同じようなものを作ろうと思って。もともとの今までやってたアシスタントのことを考えつつ、ファイルでやったらこういう感じかな、でもこの時に、アシスタントとファイルとの整合性が取れてるかということは、元のクラスのドキュメントをまだ見ずにやってたので、適当にやったわけですよ。
だからドキュメント見てからもちろん書くのが一番正しいのはそうなんですけど、まあまあ同じ構造してるだろうと思って、ファイルについて同じように、同じような方向性で、こうかなこうかなみたいな名前を推測しながらやっていくと、だから本当にステップバイステップの推論なわけですよ。推論ってほどでもないですけど、ということをやって、全部書き終わってエンターってやったら、一発で通ったんですよ。あ!思った通りの挙動してよかったと思って。
だから何のこともない、ただ推測して書いただけですよそれはもちろんなんですけどそれを書いて、あ!動いたと思って動いたのをコンソールでやってたので、それを行動、実際の行動の方に反映しようと思って、書くべきところにその関数の中の今から書こうと思ったところにカーソルを合わせた瞬間、合わせた瞬間じゃない合わせて、ファイルって打った瞬間に、後ろの分全部バンって一発で保管されるっていう、この30秒何だったんだ、30秒くらいで考えたことではあるんですけど、とはいえ30秒こうで、次こうでこうかな、あ!いけた!この気持ち分かりますか、自分で考えてこうやって、こんな感じかな推測した、やっぱ同じ構造ちゃんと分かってたなと思って、ファイルって打った瞬間に、全部同じものが一瞬で出てくる、この何て言うんですか、正しくはないんですよ、何だろうな、やるところ間違ったなっていうか、力の入れ方間違ってるなみたいなところですかね。
だからこういうのこそ、出ることは分かってるわけじゃないですか、でもなんかこう、8割9割くらい出るけど1割2割くらい出ない、みたいな感覚がどっかにあって、その1割2割を自分で補うぞっていう気持ちが常にあるんですけど、その1割2割の感覚っていうのはある意味正しいと思うんですよ、なんですけどやっぱりこれ調子乗って、人間もやれるぜってことで、3割4割にこれが増えちゃうわけですね、時に。
3割4割に増えて自分が手を動かすタイミングがなんとなく増えて、そうするとやっぱり気持ちもこう、自分でやってる感が出るわけですよ。それが嬉しいかどうかっていうよりは、自分で進めてるみたいなそういう感覚が生まれるっていうか増えるっていうか、最近性性愛にやってもらってるやつを確認しながらみたいなのが増えてくると、自分でそうやってやると、自分でやってるぜっていう感じがどっか乗るんだと思うんです。
そうやって調子に乗ったところで、バンって出されて、ちょっと調子乗りましたみたいなことがありましたね。構造書いてるとだいぶその形に慣れてきてるんじゃないかって思ったりするんですけど、やっぱりこういうのを一日に何回もやると、まだまだ自分の頭でスタートを肌から考えようとしてるみたいなことがあるなと思いますね。
自分で考えるっていうことが大事とかっていうのはもちろんあるんだと思うんですけど、ただ考えなくなるっていうのがそもそも難しいと思うので、考えなくなるのかな、ただ考えなくなることは難しいんじゃないかという前提にどんどん投げつつ、投げても考えちゃうみたいなところを平行で走らせていくと、一番いい形なんじゃないかなっていうバランスを取ろうとしてるんですが、難しいですね。